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東京地方裁判所 平成8年(ワ)22193号 判決 1997年10月29日

第一事件原告・第二事件被告(以下「原告」という)

株式会社紀州

右代表者代表取締役

下本博二

右訴訟代理人弁護士

辻佳宏

第一事件被告・第二事件原告(以下「被告」という)

吉原拓務

外一名

被告ら訴訟代理人弁護士

一瀬敬一郎

主文

一  被告らは、原告に対し、各自、金三万五七三〇円を支払え。

二  原告が被告らに対して賃貸している別紙物件目録記載の建物の賃料は、平成八年七月七日以降一カ月金四一万二〇〇〇円であることを確認する。

三  原告のその余の第一事件請求をいずれも棄却する。

四  被告らのその余の第二事件請求を棄却する。

五  訴訟費用は、第一事件については原告の、第二事件についてはこれを一〇分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  第一事件

1  被告らは、原告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という)を明け渡せ。

2  被告らは、原告に対し、各自、五八万八七〇四円及びこれに対する平成八年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告らは、原告に対し、各自、平成八年一二月一日から本件建物の明渡済みまで、一カ月五〇万六〇〇〇円の割合による金員を支払え。

二  第二事件

原告が被告らに対して賃貸している本件建物の賃料は、平成八年七月七日以降一カ月金三七万八〇八〇円であることを確認する。

第二  事案の概要

本件第一事件は、被告らが勝手に減額した賃料しか支払わないとして賃料不払いによる債務不履行解除の意思表示をし、本件建物の明渡及び未払い賃料と解除の日の翌日から明け渡し済みまでの使用相当損害金等の支払いを求めた事案であり、第二事件は、賃料の減額請求による賃料額の確認を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、被告らに対し、昭和六二年七月七日、本件建物を左記約定で賃貸し(以下「本件賃貸借契約」という)、引き渡した。

期間  昭和六二年七月七日から三年間

賃料  月額四六万円(各月分を前月二八日に支払う)

共用費  月額六〇〇〇円

更新料  新賃料の一カ月分

2  原告と被告らの間の平成二年七月七日の合意により、本件賃貸借契約の賃料は月額五〇万円に増額された。

3  原告は、被告らに対し、平成八年三月一三日付け書面をもって、同年七月七日更新後の賃料を月額五二万円に増額することの申し出をした。

これに対し、被告らは、同年五月二三日付けの書面で、更新時から賃料を月額三七万八〇八〇円に減額するよう申し入れた。

4  被告らは、平成八年七月分から、左記のとおり支払っている(賃料、共益費、消費税込み)。

七月分 四三万九三九一円

更新料 四一万三七六一円

八月分 四一万九七六一円

九月分 四一万九七六一円

一〇月分 四一万九七六一円

一一月分 四一万九七六一円

5  原告は、被告らからの賃料減額要求と減額支払いに対し、賃料減額に応じる意思はないと伝え、賃料の増額あるいは減額の結論が出るまで従来どおりの額で賃料の支払いを続けることを要求する同年八月三日到達の書面を送付した。

6  原告は、被告らに対し、平成八年九月一三日到達の書面で、九月分の賃料までの支払不足額合計三八万五八六六円を一週間以内に支払うように催告した。

7  被告らは、東京簡易裁判所に対し、同年九月二七日付けで原告を相手方として賃料減額調停を申し立て、原告は、本件賃貸借契約が既に解除されている以上将来の賃料について調停で話し合う余地はないとする答弁書を提出し、不調により終了した。

二  本件の争点は、① 平成八年七月七日当時の本件賃貸借契約における相当賃料はいくらか、② 本件賃貸借契約の賃料不払いを理由とする解除は有効か、である。

三  当事者の主張の要旨

1  原告

(一) 賃料の減額を要求する被告らが、従前通りの賃料の支払いを求めるとの原告の要請を無視し、一方的に減額した賃料を支払い、不足分を遅滞している事案であるから、借地借家法三二条三項により債務不履行による解除事由に当たる。

右の理は、同項の文理上当然であり、増額請求について定める同条二項と対比すれば明らかである。被告ら主張の減額賃料が仮に客観的に相当な賃料であっても同様である。

(二) 被告らの主張は、結局、借り主が一方的に減額支払いをしてもそれが相当賃料であれば許されるとするものであり、借地借家法三二条が二項と三項で正反対の内容の規定をした趣旨に反し、同条三項を空文化することになるから許されない。そもそも、借主が一方的に減額して相当賃料の支払いをすることは、同条三項が禁止する行為そのものであり、およそ「信頼関係を破壊すると認めるに足りない特段の事由」とはなり得ない。況や、本件では原告は根拠条文を摘示して従来の賃料の支払いを催促したのであるから、これを無視した被告らの減額支払行為は借地借家法三二条三項を正面から否定するものであり、このような違法行為が信頼関係を破壊しないと解釈することは法の否定を意味するものであり、到底許されない。

(三) また、本件建物の賃料月額五〇万円(坪当たり約二万一一五〇円)の賃料は、同一ビルの隣りの貸室よりも面積・形からするとむしろ低い賃料設定である。

平成八年七月の更新時に原告が呈示した月額五二万円の賃料設定は本件建物が面している五日市街道の整備・開通により、本件建物近辺の状況が大幅に向上したことから常識的な申し出であった。

(四) よって、原告は、被告らに対し、平成八年九月二〇日までの賃料、共用費、同年九月二一日から同年一一月末日までの賃料相当損害金及び更新料合計五八万八七〇四円とこれに対する同年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金、並びに同年一二月一日から本件建物明渡済みまで一カ月五〇万六〇〇〇円の賃料相当損害金の支払いを求める。

2  被告ら

(一) 本件建物の所在地である杉並区梅里一丁目におけるビル一階の店舗の賃料相場は、管理費込みで一坪当たり九五〇〇円ないし一万六〇〇〇円であり、平成二年を境にして著しく下落している。

しかも、本件建物がコンクリートのままで引き渡され内装工事を被告らが約二〇〇〇万円かけて施行したのとは異なり、賃貸人(所有者)が冷暖房、床、トイレ、壁、天井等の設備及び内装工事を完了した上で契約しているものが多い。

(二) 平成二年七月の契約更新時、原告から月額四万円の値上げ(月額五〇万円、坪当たり約二万一一五〇円)の申し出があった際、被告らは当時の賃料相場が上昇していたことから即座に右申し出を受け入れた。

平成五年七月の契約更新時には、既に近隣の賃料相場が下落していたことから原告からの値上げ要求はなかった。

平成八年七月の契約更新に際し、被告らは原告に対し、同年五月二四日到達の書面で近隣の賃料相場の著しい低落状況に照らし、本件賃料につき月額三七万八〇八〇円(坪当たり一万六〇〇〇円)に減額請求した。

そして、同年六月二六日、被告ら訴訟代理人弁護士一瀬敬一郎は、原告代表者と本件賃料について話し合いを持ち、賃料相場の下落状況から右賃料減額の請求をしたが、原告代表者は飲食店向け店舗の賃料は下落していないとして応じなかった。そこで、同弁護士は原告代表者に対し、借家法第七条を示して、賃料決定までの間、当面の措置として相当と認める賃料を支払い、新賃料が確定し、差額が生じた場合には速やかに清算する旨口頭で伝えた。

そして、被告らは、当面の措置として、現在まで月額四〇万一七一〇円(坪当たり一万七〇〇〇円、消費税、共益費別)を賃料として支払っている。

第三  判断

一  本件建物の平成八年七月当時の相当継続賃料額について

1  証拠(甲二、乙一ないし三)によれば、本件賃貸借契約の賃料は、新規契約時の昭和六二年七月七日に月額四六万円と定められ、平成二年七月七日の更新時に月額五〇万円と増額され、平成五年七月七日の更新時に月額五〇万円に据え置きとされたこと、保証金は一二〇〇万円であり、明渡時に八割返還とされていることが認められる。

2  証拠(乙六、鑑定)によれば、(一) 本件建物は、営団地下鉄丸ノ内線「新高円寺」駅の東方約一二〇メートルに位置し、新宿駅へは約一〇分の交通圏にあり、北方至近で青梅街道に接続する幅員約一五メートルの都道に接している、右都道は都市計画道路に指定され今後も交通量が多くなることが見込まれ、本件建物の所在地周辺は、青梅街道背後に中高層の店舗兼共同住宅等が建ち並ぶ商業地域である、(二) 地価の動向をみると、公示価格は、本件建物の所在する杉並区で平成五年から前年比で二〇パーセント前後毎年下落し、平成九年になって前年比が一一パーセントととやや下落傾向が鈍化しており、本件建物の周辺地域における平成八年一月一日時点での前年比はいずれも二〇パーセント以上下落し、平成九年一月一日時点での前年比も12.5パーセントから17.5パーセント下落しており、基準地価も公示価格よりも前年比が数パーセント低いものの同様の傾向を示している、(三) 本件建物の近隣地域及び同一需給圏内の類似地域における本件建物に類似した一階店舗の新規支払い賃料は平成九年六月時点で、概ね坪当たり一万六〇〇〇円前後、保証金は支払賃料の一五ケ月程度である、(四) 本件建物の正常実質賃料相当額は、本件建物の個別検討から積算賃料(不動産から一定の用益を得るために投下した費用性に着目して、その用益の対価である賃料を求めるもので、理論的であるとされる)は一平方メートル当たり六一二八円で、比準賃料(現実に生起した対象不動産と類似の賃貸事例に基づき求めたもので、実際の市場動向を把握し近隣地域の賃料水準を反映し、実証的かつ客観的であるとされる)は一平方メートル当たり五七一〇円であることから、その仲値をもって正常実質賃料相当額とすることは合理性があり、これによれば四六万二〇〇〇円(一平方メートル当たり五九二〇円)である、(五) 本件建物の実際実質賃料は、平成二年七月七日更新時に合意改定され、平成五年更新時に合意された月額支払賃料五〇万円と保証金一二〇〇万円の月当たりの運用益(年五パーセント)を合わせると月額五五万円と評価できる、(六) 本件建物の実際実質賃料は更新料の運用益及び償却額を加えない段階で、既に正常実質賃料相当額を上回っており、賃料増額を相当とする理由は困難である、(七) 本鑑定は、右(六)の点から、通常、継続賃料の鑑定評価に用いられる手法(差額配分法、利回り法、スライド法、賃貸事例比較法)を本件の相当賃料の評価に適用することは相当でないとして、正常実質賃料相当額から保証金の運用益を控除して、本件建物の平成八年七月一日及び平成九年六月一日現在の相当賃料を四一万二〇〇〇円(一平方メートル当たり五二八二円)と評価している、そして、右価額は賃貸事例比較法により近隣の類似事例をもとに保証金の運用益を控除するとほぼ同程度で取り引きされている、ことが認められる。

3  以上の認定事実に、本件賃貸借契約において現在合意されている賃料は、いわゆるバブル経済の崩壊寸前の絶頂期で地価を含め不動産の売買価格や賃料が異常に高騰し切った時期(崩壊の兆しはみられたものの現実的には実感されなかった時期)での合意によるものであり、その後地価の急落傾向が続いたこと、賃貸物件の需給関係や経済不況、投資意欲の萎縮傾向が建物賃貸取引にも直接反映していること、建物賃料の改定時期には相当額の減額を合意する傾向が生じてきていること、以上は周知の事実であることを考慮すると、本件鑑定評価意見は合理性があるから、本件建物の平成八年七月七日現在の相当賃料額は四一万二〇〇〇円(共益費、消費税別)であると認める。

二  被告らが、平成八年五月二三日付けの書面で、平成八年七月七日における契約更新の申し出をすると共に、更新時から賃料を月額三七万八〇八〇円に減額するよう申し入れたことは、争いがない。

そうすると、賃料減額請求は賃借人の一方的な意思表示により賃料の減額を相当とする要件が具備されていれば相当価額に減額されるとの形成権であると解されるから、右一によれば、本件賃貸借契約の平成八年七月七日更新された時点で、その賃料は月額四一万二〇〇〇円と減額改定されたものと認められる。

そうすると、第二事件請求は、賃料月額四一万二〇〇〇円の限度で理由があることになる。

三 ところで、原告が、平成八年七月分以降、賃料及び共益費、消費税として月額四一万九七六一円(賃料月額四〇万一七一〇円)を支払っていることは争いなく、証拠(乙四の1、2、五、六、鑑定)及び弁論の全趣旨によれば、被告らは、賃料相場の下落傾向を踏まえて月額三七万八〇八〇円(坪当たり一万六〇〇〇円)が相当賃料であると考えて原告に通知し、原告が争っているので、若干付加する意図で月額賃料を四〇万一七一〇円(坪当たり一万七〇〇〇円)とし、従来の共益費と消費税を加えた月額四一万九七六一円を賃料改定合意が成立するまでの一応の賃料として支払っていることが認められ、その他の争いのない事実によれば、減額された相当賃料よりも支払っている賃料額は月額一万〇二九〇円少ないけれども、その相当賃料に対する割合は約2.5パーセントであり、現在においても不足分の合計額は相当賃料額の三分の一に満たない額であること、借地借家法三二条三項は旧借家法七条を踏襲するものであり、同条においては減額請求をした賃借人は「相当と認める額」を提供しなければならないけれども、その額が著しく不合理でなければ、相当賃料を下回るときには差額に年一割の利息を付して支払えば解除されることはない趣旨であると解されていたのであり、借地借家法三二条三項が右解釈を変更するものでないことは、各条項の文言の類似性、立法経過からも明らかである。

したがって、前述の検討によれば、法の許容する範囲内の賃料不払いであって、いうなれば不履行における違法性がない場合であるから(信頼関係破壊の有無以前に)、第一事件請求における原告の債務不履行解除の意思表示は、解除の効果を発生させないと考えられる。

四  ところで、原告は、平成八年九月二〇日までの賃料及び共用費及び同年九月二一日から同年一一月末日までの賃料相当損害金並びに更新料とこれに対する同年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金と同年一二月一日から本件建物明渡済みまで一カ月五〇万六〇〇〇円の賃料相当額の支払いを求めているが、前記のとおり、本件賃貸借契約の解除は認められないから、解除を前提とする使用相当損害金の請求は理由がなく、共用費は支払われており、同年九月二〇日までの、更新料と賃料の差額は、更新料分一万〇二九〇円と賃料分二万五四四八円(一円未満四捨五入)の合計三万五七三〇円であり、相当賃料額の提供を続けているから不足額の遅滞は違法ではなく借地借家法三二条三項による利息請求によることになるから遅延損害金の請求は理由がない。

五  以上によれば、第一、二事件請求とも、主文の範囲で理由があり、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条本文、但書、九三条を各適用し、第一事件請求の認容部分について仮執行宣言を付することは相当でないから付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官髙橋光雄)

別紙物件目録<省略>

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